辻野 佐依さん(第5学年次)

ワシントン大学での研修を終えて

今回、8月4日~11日の1週間、ワシントン大学での生命倫理プログラムに参加させて頂きました。今回の研修に参加しようと思った動機は、2つあります。まず、医師になる前に海外の医療体制を自分の目で見てみたいと思ったことです。またワシントン州では尊厳死が認められており、尊厳死を処方した医師から実際に話を聞いてみたいと思ったことです。尊厳死が認められる背景には日本との文化の違いや国民性の違いがあるのではないかと考え、それについても学習したいと思い、参加させて頂きました。講義は日本では今まであまり経験することのなかったディスカッション形式でした。普段は間違いを恐れてあまり積極的に発言をしない私ですが、自分の考えを積極的に発言する機会を与えていただきました。1週間の研修では生命倫理についての様々な講義を受け、ワシントン大学の病院、施設を見学させて頂きました。その中で特に興味深かったものについていくつか述べさせていただきます。

最も印象に残ったのはJames Green先生のDeath with Dignityの講義です。アメリカでの尊厳死は医師が死に至る薬剤を投与するのではなく、処方するというもので、実際に体内に入れるのは患者自身で行います。この尊厳死が認められるには予後が6か月以内であること、患者自身で尊厳死の意思表示を3回すること、3回目は文章でこの意思を伝えること、など様々な決まりがあります。また尊厳死のためにワシントン州に来ることを避けるためにワシントン州での住民権を持っており、18歳以上であることも決められています。この尊厳死の処方は医師であれば、特別な資格を必要とせず、誰でも行う事が出来ます。実際の尊厳死の例では、尊厳死に至る薬剤を処方されましたが、これを飲めばいつでも楽になれると安心したのか、結局服用せずに亡くなった患者もいるようです。この尊厳死の処方にあたっては医師自身も悩み、患者が尊厳死によって亡くなった後も、これで良かったのかと考えることもあるといいます。また、この尊厳死を処方することで医師自身もひとりの人間として様々なことを学びますが、新たな患者に尊厳死を処方するには時間を置きたいと感じる医師もいると聞きました。また尊厳死に対して保守的な考え方をする人々からは患者を死に至らしめたと、尊厳死を処方した医師を偏見を持った目で見るようです。患者にとって尊厳死はひとつの死の形ですが、患者に寄り添い、どのような最期を迎えるのか、尊厳死の処方する権利をもたされた医師は相当な苦悩があるのだと感じました。

次に印象に残ったのはStephen King先生のChaplainについての講義です。Chaplainとは患者のスピリチュアルな部分でのサポートを専門にする職業です。アメリカでは様々な人種や異なる宗教観を持った人がいるため、患者個人の考え方も幅広いように感じます。患者が病気と闘いながら生きる意味を考え、自分自身と向き合うにあたって手助けをするChaplainは日本にはない存在です。日本では自分の内なる考えや死に対しての恐怖や苦しみなどの感情を打ち明ける人は少ないです。また、宗教的な意味合いを含むものは避けられる傾向にあります。そのためか、Chaplainのような役割を果たす職業は日本では確立されていません。患者に寄り添い、スピリチュアルなケアをしていく専門家は日本にも必要だと思いました。

Ms.Stacy JonesとMs.Daniekの講義ではアメリカのホスピスケアについても学びました。アメリカのホスピスケアは、日本に比べてはるかに制度化されていました。日本ではホスピスに対するイメージはどちらかと言えばマイナスで、死が迫った患者の治療から逃げるような印象を持っている人も多いと思います。一方アメリカでは、ホスピスケアとは治療を諦めるのではなく、様々な治療の選択肢の一つであると患者に理解してもらい、患者が満足する環境で最期を迎えられるようにホスピスケアが行われています。また患者が亡くなった後も、患者の家族のケアにも力を入れていることが印象的でした。日本でももっとホスピスケアが取り入れられてもいいのではと感じました。またDr.Tomoko SairenjiとDr.Dan Evansでの講義の中で、「封筒の入った紙袋を患者さんから渡されたら医師としてあなたはどうしますか。」という議題についてはとても考えさせられました。 実際の医療現場では少なくない状況だと思いますが、日本では患者からそのように物やお金を受け取るのは良くないと模範的な結論に至ることが多いと思います。しかし、現実的には受け取らざるを得ない状況も多いように感じます。例えば、袋の中身が患者さんの手作りのものであれば、受け取らないことで患者との間に心理的な距離をつくってしまったり、コミュニケーションに悪い影響を及ぼしたりすることもあります。しかし、この物品なら受け取っても良い、お金であればいくらまでなら受け取るなど詳細にルールを決められないからこそ、難しい問題だと感じました。この講義でのディスカッションはより現実的な場面を想定し、深く考えることができ、面白いと感じました。この研修を通して、生命倫理はひとつの答えを見つけるのではなく、その行動を選択するに至った明確な理由づけが大切だと学びました。

最後になりましたが、このように素晴らしい機会を与えてくださった枚方療育園の山西先生、引率して頂いた関先生、中野先生、富田先生、蒲生御夫妻、金沢さん、梶原さん、貴重な講義をしてくださったMcComick先生、King先生をはじめとするワシントン大学の先生方、見学させて頂いた施設の先生方、ガイドをしてくださったヨシコさん、通訳でサポートして頂いたTuridさん、この研修に関わってくださった全ての方々に感謝申し上げます。