向井 周さん(第2学年次)

汕頭大学研修留学記録

私は大学生活をできるだけ充実したものにしたいと平素より考えていました。大学を卒業してしまうと難しくなることのひとつとして留学というものがあるのではないか、と考えたことから、2019年11月6日から17日までの中国広東省にある汕頭大学医学院における研修に応募、参加させていただきました。以下、ご報告いたします。

1日目、関西国際空港から広州を経由して汕頭へと向かいました。初めての留学ということもあり、飛行機の中では気持ちが浮足立ち、離陸の瞬間には思わず小声で叫んでしまいました。当時香港では大規模なテロが起こっていたこともあったためか、中国での入国審査はやや厳しかったことを覚えています。関西国際空港を出発したのは9時でしたが汕頭に到着したのは現地時刻で16時25分と、やや乗り継ぎに時間がかかりました。汕頭に到着した私たちはバスでホテルへと向かいました。ホテルでのウェルカムディナーではこれからお世話になる先生方とたくさんのお話をしましたが、先生方は皆日本語がとてもお上手で、愛媛大学出身の先生が何人かおられたのが印象的でした。

2日目は汕頭大学の2年と5年のボランティアの学生とともに貧困地域での医療を見学しました。汕頭大学では学生たちが主体的にボランティア活動を行っており、病院で検査を受けたり、食べるものを買うためのお金がない人々に学生たちが無料の健康診断を紹介したり、コメや食用油を各家庭に届けたりしていて驚きました。同じ学生の身でありながら、汕頭大学の学生たちはすでに医療現場に主体的に携わっているのだと思うと、自分たちの医学生としての在り方がいかに受動的であるかということに気づかされました。また、中国の「地域」が日本の地域と比較しても非常に貧しく、水道や電気も通っておらず、民家から尿と生ごみの混じったような臭いが立ち込めて、そこに住んでおられる方々が病院に通うお金もなく、力なく横たわっているのを見るにつけ、日本の都市に住む自分たちとの境遇の差を痛感しました。

3日目はホスピス医について肺がんの終末期の患者さんの在宅ケアを見学しました。ケアといっても農村地域で出来ることは限られていたようで、ホスピス医は患者さんの血圧を測った後、専ら悩みや不安を聞くにとどめていました。患者さんは貧しい農村のいわば大黒柱だった方で、稼ぎ手としての自分が死んでしまった後の家族への懸念を、静かに語っておられました。また、死そのものに対する不安についても語っておられました。その時に印象的だったのは、ホスピス医が宗教的な話を持ち出して患者さんを安心させていたことでした。中国では古くより先祖崇拝の概念があり、死んでしまっても、一族の守護神となってこの世にとどまるのだ、と。医療技術では救い得ない患者さんに対し、医師はどう接するべきなのか。この問題は医療現場における普遍的なテーマでもあります。科学技術の進んだ現代においても、死に面して人が頼ることができるのは結局人智を超えたものなのかもしれません。中国には儒教や道教が、西洋にはキリスト教があります。日本では終末期の患者さんに対して医師がいかなる話を持ち出すのだろう、と少し疑問を覚えました。

4日目はまず口唇口蓋裂の治療センターに行きました。そこで先生は口唇口蓋裂の発生に関して大まかに説明してくださり、また、李嘉誠基金がときには政府と協力して口唇口蓋裂の治療をボランティアで行っているということを説明してくださいました。日本では個人の財産でここまで大規模なボランティア活動を行うための資金を補うことはできないだろう、と思いました。また、このボランティアにより毎年多くの子供が、ほかの子供と同じような生活を送ることができているのだと思うと李嘉誠氏の偉大さが改めて実感できました。その後、新生児治療室や感染病棟、眼科、精神科にも見学に行きました。まだ基礎医学しか学んでおらず、日本ですら病棟に入った経験がほとんどなかったので、あまり日本とは比較できませんでしたが、廊下にたくさんの患者さんがおられ、先生方も忙しなく廊下を行き来しておられました。

5日目はまず汕頭大学の実験センターと口腔衛生部門を見学しました。バーチャル映像を用いた授業が行われており、私たちもバーチャルで歯を削る練習などをしました。その後腫瘍センターも見学し、最後に楽しみにしていた汕頭大学の見学に行きました。そこでも大学の広大な敷地と整った環境に圧倒されました。医学部の建物は独特の形状をしており、中に入ると本物の人体標本や、バーチャルの設備などがたくさんありました。また、自習室では先生が教科書を広げて熱心に講義をし、その周りを数名の学生がメモを取ったり意見をはさんだりしながら聴いているのを見て、自分も頑張らなければ、と学習への意欲を新たにしました。そして、汕頭大学の図書館も見学しました。アジア一美しい図書館、との評判に違わず、勉強、読書に最適の素晴らしい環境でした。

6日目はまず郊外の白内障治療センターを見学しました。このセンターの医師は汕頭大学の卒業生というわけではなく、むしろ地域の医師たちが多いそうです。それゆえに知識にやや不足分があったりするのを、汕頭大学が医師に対して指導をすることによって補っているということでした。卒業生だけではなくほかの医師に対しても学びの機会を与えているところに感銘を受けました。その後、潮州の旧市街を観光しました。唐代から残る街並みを見るにつけ、中国の人々が自国の歴史を大切にしていることを実感しました。

7日目は市内の観光でした。折しも私たちが訪問した2019年は中華人民共和国の建国70周年の年であり、記念硬貨を買うことができました。そして最後にお世話になった先生方と一緒に餃子作りをしました。最初は日本の焼き餃子をイメージしつつ作りましたが、うまくいかず、本場の餃子の皮の折り方を見せてもらってようやく作れるようになりました。調理法は日本の水餃子のように煮た後、醤油をつけました。あっさりとしていて美味しかったです。少し残した分はホテルに持って帰って次の日の朝食にしました。

8日目、いよいよ帰国となりました。留学前は不安が大きかったのですが、終わるとなると心寂しく思いました。汕頭を13時5分に発ち、20時30分に長年住み慣れた日本に帰ってくると、それでもほっとさせられました。

留学前は中国の医療に対してあまりイメージがわきませんでした。ところが実際に留学してみると医学生も先生方も向学心が非常に高く、また、患者さんを救うことに対するモチベーションの高さに感服しました。医学生たちはしきりに日本の医療水準の高さを褒めてくれましたが、私たちはむしろ、汕頭大学の方々の勤勉さ、そしてその設立者である李嘉誠氏のボランティア精神を見習うべきだと実感しました。最後に、このような貴重な機会を与えてくださった兵庫医科大学の先生方、お忙しい中私たちのお世話をしてくださった汕頭大学の学生、先生方、そして最後に、私たちの留学に同行してくださった国際交流センターの鳥井さんに、衷心より感謝いたします。