国際・国内交流
髙橋 凜華さん(第5学年次)
Rinka in Rijeka
Dobro jutro! Zovem se Rinka. Ja sam Japanka. Drago mi je da smo se upoznali.
クロアチア語で自己紹介ができるように日本で何度も練習した甲斐があって、実習初日に出会った指導医の先生や看護師の皆さんは私のクロアチア語に驚き、温かく迎えてくださいました。1か月の留学期間の前半は消化器内科を、後半は産婦人科を回らせていただきました。実習の様子だけでなく、向こうでの生活や帰国して感じたことについて、このホームページを読んでくださっている方と共有できたら幸いです。
病院に足を運んでまず驚いたのは、誰もマスクをしていないことです。回診で病室に向かうと、日本の病院のようにカーテンで仕切られておらず、患者さんのプライベートな空間が全く確保されていないのも衝撃的でした。医師と患者の話が隣の患者に筒抜けになっていたので、プライバシーに配慮する必要はないのかと思いました。回診は教授、専門医、レジデント、看護師の15人くらいの医療従事者が訪床する形でしたが、一度に大勢がベットサイドに集まるため、患者さんが萎縮して言いたいことも言えなくなるのではないかと、とても心配になりました。ですが、相手が教授であろうと物怖じせずに、自分の意志をはっきりと伝え、会話を楽しんでいらっしゃいました。医師がベッドに腰を掛けて病状を説明していたのを見て、目線の高さを合わせることで、より良好なコミュニケーションを構築できているように感じました。このようなクロアチアの医師-患者間の距離の近さは見習いたいですし、日本の病院実習で患者さんと関わる機会があれば、是非実践したいと思いました。
消化器内科での一番の思い出は、回診での教授との会話です。肝硬変に乾癬を合併した患者さんの回診時、教授が突然ベッドをめくって「この病気、何か知っていますか?」と私に質問してきました。両下肢に特徴的な皮疹があり、すぐに乾癬だと分かったのですが、英語で何と言っていいか分からなかったので、“I know about this disease, but I don’t know what it’s called in English.”と答えました。消化器内科のローテーション中に皮膚科についての質問が飛んでくるとは、まさに予想外の出来事で対応しきれませんでした。その場で教授が乾癬の説明をしてくださって事なきを得たのですが、悔しい思いだけが胸に残りました。低学年の英語の授業で、乾癬の呼び方を習ったことを思い出したからです。二日後の回診で、同じ患者さんのベッドの前に来たとき、教授が「この患者さんが肝硬変以外にどんな病気があったか覚えていますか?」と再度質問してきました。私は自信満々に“Psoriasis.”と答えることができました。すると、「あなたはまだ若いから、何でもすぐに覚えられるし、理解するのも早いね。」と褒めてくださいました。また、「消化器の疾患だけではなく、ほかの科の病気についても注意を払わないとね。」とおっしゃいました。この教授は決して英語が流暢に話せるわけではなかったのですが、留学生の私のために、一生懸命に英語で患者さんの病状について説明してくださいました。クロアチア語が飛び交う回診で、このような親切な配慮がどれほど私の助けになったか、書く必要もありません。レジデントの先生方も私が退屈しないように、外来や検査の見学中に英語で説明する時間を作ってくださり、感謝してもしきれません。実習の最終日には先生方全員のサインが入った教科書をいただき、一生大切にしたいくらいの宝物になりました。
産婦人科で最も心に残ったことはやはり、経腟分娩の見学でしょうか。日本では見学の機会に恵まれなかったので、人生初となるイベントを実習前から楽しみにしていました。実際に分娩を目の当たりにすると、その神秘的な光景に目を潤ませずにはいられませんでした。痛みに必死に耐えているお母さんや、苦しんでいるお母さんを見て辛そうな表情のお父さん。お母さんに声をかけながら処置を行う医師やそれを手伝う看護師。分娩室にいる全員が、赤ちゃんが生まれてくるのを待ち望んでいました。ついにその瞬間が訪れて、お父さんの手によってへその緒が切り離され、お母さんが無事に赤ちゃんとの対面を果たすことができました。赤ちゃんを抱いて涙しているお母さんを見て思ったことは、世の中のありとあらゆる仕事の中で最も大変なのは「お母さん」だということです。大量に失血し、自身の生命が脅かされそうになりながらも子どもを生み、守り育てていきます。また、私自身が生まれてくるときもお母さんが大変な思いをしたことが想像され、日本にいる両親のことが思い出されて、なおさら涙が止まりませんでした。
ここまで現地での実習について述べてきましたが、生活面での苦い思い出を紹介させてください。市バスの定期券を購入するためには、日本のマイナンバーのような個人番号が必要だったのですが、それを申請するのに1時間以上立ちっぱなしで待たなければなりませんでした。やっと自分の番が来たと思ったら、「これからお昼ご飯の休憩に入るから30分後にまた来てほしい」と言われたときは、ショックで言葉も出ませんでした。個人番号が書かれた用紙を片手に、次はバス会社の列に並びます。最終的に定期券を入手できたときには、文字通り日が暮れていました。ハプニングはこれだけにとどまりません。週末に友達と旅行に出かけたとき、長距離バスを利用したのですが、休憩所で私がお手洗いに行っている間にバスが発車してしまうという事件が発生。友達が必死になって運転手に頼んで、バスは停止。この友達がいなかったらと考えるだけで今でも身の毛がよだちます。
ここ一か月を改めて振り返ってみると、多くの人の助けなしにはこの留学プログラムは成り立ちませんでした。お世話になった病院の先生方、職員の皆様、リエカ大学の国際交流課のPaola、毎朝カフェテリアでおはようと挨拶してくれた店員さん、空港と寮の間を行きも帰りも送迎してくれた車の運転手さん、コインランドリーで洗濯機の使い方を教えてくれた見ず知らずの方まで。特筆すべきは、私がクロアチアに行く直前に、兵庫医科大学に交換留学にきて仲良くなっていた、3人の医学生です。日本で大阪城や布引ハーブ園に行ったりご飯を一緒に食べたりして、交流を深めたように、リエカでも絵画教室やボーリングに誘ってくれ、楽しいひと時を過ごしました。クロアチアを離れるとき、涙なしには別れられませんでしたが、またいつか彼らと再会できると信じています。一緒にこのプログラムに参加した同級生2人にも、長距離バス事件の件も含めて心からお礼を言いたいです。
最後はこの言葉で締めくくりたいと思います。留学の1か月間、最も話していたクロアチア語です。Hvala!(Thank you!)