中村 美裕さん(第5学年次)

クロアチア留学を終えて

9月の半ばから10月の半ばまでの1か月間、クロアチアのイストゥラ半島最大の港町リエカで実習させていただきました。

私は前半2週間を産婦人科で、後半2週間を消化器内科で病院実習させていただきました。科ごとに病院の場所は違うのですが、私は2科ともClinical Hospital Center Rijekaというリエカ中心地にほど近い病院でした。最初の2週間の産婦人科ではたくさんの手術と帝王切開を見学することができました。この病院では毎日10件弱の分娩があるそうで、帝王切開も予定、緊急含めて毎日のように見ることができました。兵庫医科大学での実習では帝王切開は見ることができなかったので、とても良い経験でした。また婦人科の手術に関しても、毎日4件ほどあり、好きな手術を見学することができました。最初は手術中の先生に話しかけていいものか、と黙って見ていましたが、日本の手術室とは違い和気あいあいとした雰囲気で手術をしているので、思い切って質問するといろいろ教えていただけました。日本の実習では手術中のメインの術者に学生が話しかけるなんてかなりハードルが高く、手術に参加していない先生がいるのでその先生に質問する、ということが常識となっています。しかし、クロアチアではそもそも手術室には手術に参加していない先生はおらず、質問を自主的にしないと何の手術をしているかも教えてもらえないという事態が起こってしまうのです。逆に一度質問してしまえば先生はとても丁寧に今何をやっているか、これからどうするか、手術終わりにも何か質問はあるか、などとてもよく面倒を見てくれました。クロアチアの医療は日本とはまた違います。手術のエプロンはディスポではなく布のエプロンです。また手術の録画などもしません。そして手術は早いです。腹腔鏡下の手術では各人が次にすることをわかっており、阿吽の呼吸で手術が進んでいき、それはもう鮮やかです。

後半の消化器内科は最初の1週間はリトアニアからの留学生と一緒に回りました。リトアニアの学生とは内視鏡の合間にいろいろな話をしました。とても驚いたのは、海外の話題にもとても明るいということです。とてもセンシティブな日本の国交問題も、日本に原子爆弾が落とされた都市の名前も彼は知っており、私に様々な日本に関する話題を振ってきました。私はそれに対して、「I’m not sure.」と返すことが多く、海外のことだけではなく日本の歴史や、政治、言葉のことについて詳しく知っておくべきだと痛感しました。リトアニアの学生がいなくなった次の週は外来に同行させてもらいました。最初、先生は外来のことを「ambulance」と言っていて、てっきり救急車の初療室だと思っていたのですが、実際は紹介状を持った人の最初の診察のことで、知っている単語でも国によって意味が違うのだと驚きました。外来ではクロアチア語で問診をとっているのですが、一人の患者さんが私をみて「留学生がいるなら、英語でもいいわよ、私英語話せるから。」とおっしゃっていただき、英語での問診を見ることができました。突然の申し出にも関わらず、クロアチアの先生方は何でもないような顔で英語で問診をとっており、クロアチアの人の英語能力の高さに驚きました。そして、留学生に対して笑顔で英語対応してくれる患者さんも私だったら同じことをすることができるだろうかと、とても尊敬しました。また、腹腔鏡の手術も、内視鏡も日本製のモニターや機械が多く使われていたことがとても印象的です。ERCPの最中に先生が「このカテーテルは日本の先生が開発したんだよ。とても使いやすいんだ。」とおっしゃっており、改めて日本の技術のすばらしさを体感することもできました。産婦人科も、消化器内科も日本では経験できないような実習ができ、とても充実した1か月でした。

リエカの生活環境というと、病院から歩いて15分ほどの学生寮の最上階フロアの1DKの間取りでベッド2つの2人用をひとりで使うことができました。同じフロアの最奥には共用スペースがあり、みんなでそこに集まり夜ご飯を食べたり、週末のミニトリップの予定を立てたりしました。食事は3施設の食堂で使えるフードチケットをいただきましたが、朝ご飯以外は正直あまり使うことはありませんでした。というのも、街中にはレストランがたくさんあり、飲み物を頼まなければ500-600円で素敵なランチが食べられるからです。夜もスーパーへ行ってハムやチーズを買ってみんなで食べていました。サラミも100g100円ほどで、ワインもフルボトル500円ほどと物価が安く、週に2回ほどはスーパーへ出かけ晩御飯を調達していました。またリエカ、というよりクロアチアの交通の足はバスで、そのため市バスはとても発達しており、常になんらかのバスの往来があり、移動に困ることはありませんでした。私たちはリエカの市街地と、隣町まで行ける無料のバスチケットをいただいたため、実習終わりのたびに気軽にバスへ乗り中心地や隣町まで遊びに行きました。特に隣町のOpatijaは夏のハイシーズンには各地から人が集まるリゾート地で、地平線が見える海でのんびりとすごしたことはとても良い思い出となりました。 また、私たちは週末ごとに小旅行へ出かけていました。リエカはイタリアやスロベニアに近く、私たちはスロベニアの首都リュブリャナやヴェネツィアにもバスで出向くことができました。またクロアチアには多くの世界遺産があり、美しい青い湖が有名なPlitvice国立公園、ジブリ「紅の豚」の舞台地とされていて、アドリア海の真珠と称されるDubrovnik、ローマ時代の宮殿の中に町が作られているSplit、ビザンティン芸術の美しさが際立つEufrasinana聖堂の司教建造物群、そして古都Trogirと1か月の間でしたが、様々な場所へ出かけることができました。そのなかでも特に感動したのが、Eufrasiana聖堂へ行った日のことです。その日は、日本へ留学へ来ていたクロアチアの学生たちがアテンドしてくれ、1日車を運転して世界最小の村としてギネスブックに載っているHum、先述した聖堂があるPorec、そして、海に町がせりだしたようなRovinjへ連れて行ってくれました。それだけでもとても楽しく幸せなことでしたが、日本に留学していた1人のクロアチアの女の子が自分の実家に招待してくれ、お母様がクロアチアの伝統的な料理をふるまってくれました。本当に料理がおいしくて、持って帰りたいと思うほどでした。お母様も、お父様もとても朗らかで明るく、私たちを笑わせてくれました。そしてその時間は本当に幸せで、クロアチアの実習の一番の思い出となったことは言うまでもありません。

リエカの町の人々は本当にやさしく、気さくでした。私にとってヨーロッパはこのクロアチアが初めてで、不安なこともたくさんありましたが、こうして実習を終えて思い返すと、嫌な思いをしたことなど一度もなく、毎日がキラキラと輝く思い出であふれかえっています。日本では空を見上げる余裕などなく毎日を過ごしていましたが、リエカにいる間は、毎日美しい夜空を見ながら、幸せに浸っていました。この1か月ことは私の一生の中で最も美しく残る記憶のうちのひとつになることは間違いありません。

最後にこの素敵な機会を与えてくださった、兵庫医科大学の先生方、すべての用意を整えてくださった鳥井さん、クロアチアで困ったことがあったらすぐ助けてくれたValentina、実習でお世話になった先生方、様々なお手伝いをしていろいろなところへ連れて行ってくれた留学生たち、すべての方に大きな感謝を送ります。ありがとうございました。