ロバートウッド・ジョンソンメディカルスクール留学報告書

6年生での自由選択実習期間において、私はラトガーズ・ロバートウッド・ジョンソンメディカルスクールでの海外臨床実習を選択させていただいた。多くの医学生が6年生になれば、国家試験に向けて徐々に受験勉強を本格化させる中、あえて6年の4月という非常に貴重な1か月をアメリカでの留学生活に充てることはやや難しい決断であった。しかし、4年生では臨床統計の森本先生の授業で来日されたGeorge先生と交流を持たせていただいたことや、5年時には兵庫医科大学の同級生たちや、高校時代の同級生がアメリカに留学したことで、海外の医療、生活に非常に興味が沸き、この感情を抑えたままで残りの人生を送ることは大きな後悔を生むと考えたため、今回の決断に至った。

今回の実習ではニュージャージーは、ニューブランズウィックにある、ラトガーズ・ロバートウッドジョンソン大学病院のFamily Medicine部門の教授の台湾系アメリカ人・Lin先生のお宅に2週間、レジデントのインド系アメリカ人のNithya先生のお宅に2週間ホームステイさせていただき、Family Medicineにて1か月間学んだ。学生レベルの拙い知識ではこのFamily Medicineとは一体どのような科なのか、日本語に直せば家庭医ということになろうが、具体的には皆目見当もつかなかった。それもあり、今回の実習でFamily Medicineで経験したことは、すべてが新鮮であったために非常に良い機会となった。日本でも近年遍く広がりつつある概念であるプライマリケアの担い手が、日本では大まかなイメージが開業医の方々であるところ、アメリカでは主にFamily Medicineであることが多いようだ。

ロバートウッドジョンソン大学病院のFamily Medicineは大まかに2チームに分かれていた。医学部卒業後1~3年目のレジデントがそれぞれ数名おり、スペイン系、中国系、アフリカ系のアメリカ人のレジデントなどがおり、白人系のドクターとの割合は半々ぐらいといったところで、人種のるつぼといわれるアメリカらしさもここに感じた。私はその2チームのうち、Lin先生のチームで実習したが、ラトガーズ大学は総合大学であるので、ラトガーズ大学薬学部の生徒も同じチームで実習を行った。

1週目の日々の多くは、朝7時からのカンファレンスで始まった。病院併設の食堂の中にあるカンファレンス室で、食堂で購入した朝食を食べながらのフランクな雰囲気であった。教授が多忙な際は、レジデントの先生が携帯電話をスピーカーモードにして教授を遠隔的にカンファレンスに参加させたりしており、私の知る範囲の日本の医療現場ではなかなか見ることのないような光景が繰り広げられていた。病棟実習で意外だったことは、Family Medicineは新生児や妊婦の方まで診察していたことだ。日本の総合診療とは完全な同義ではないのだということがここでよくわかった。
病棟実習の合間に、大学病院とは車で15分離れた距離にある、ラトガーズ大学医学部1、2年生(アメリカの医学部は、カレッジ卒業後入学のため、日本とはギャップがある)が学ぶキャンパスでの授業にも参加させていただいたが、そこでは、元薬物中毒者であり、元路上生活者であった人を招いてのグループ学習などが行われていた。日本ではまずない教育であり、非常に刺激的な体験だった。

2~3週目はLin先生のご都合で家を移り、Nithya先生の家から大学病院に通った。2週目は主にラトガーズ大学医学部の学生たちのブートキャンプに参加させていただくことが多かった。ブートキャンプは、兵庫医大でいうところのプレクリニカル教育のようなものの印象で、実際に臨床現場で活躍されている先生が少人数に分かれた医学生たちにそれぞれの専門分野のトピックスなどを教えられていた。いくつかあったブートキャンプの中で、PC上で操作することで心電図や呼吸状態などのバイタルが変動する人形を用いて、上部消化管出血の症例を学生に解かせ、バイタルの急変とともに心肺蘇生の処置までを行わせる授業が特に印象的だった。学生は問診を行いながら鑑別診断を下している最中に急変に直面するわけであるから臨機応変な対応が求められる。非常に臨床的であり、含蓄の多い授業であった。また、2週目の木曜日にはLin先生のお知り合いの市役所職員の方にニューブランズウィック市を案内していただき、ニューブランズウィック市と姉妹都市である福井市や、ラトガーズ大学で学んでいた日本人などについて学び、医学以外にも見聞を広めさせていただいた。

3週目は、保険を有していない低所得の方向けの、ロバートウッドジョンソン大学病院のFamily Medicineの分院であるチャンドラークリニックにて実習させていただくことが多かった。ここに来られるのは主にヒスパニック系やアラブ系の人が多く、言葉のバリアの問題から、糖尿病の食事管理や服薬の重要性など、患者さんの理解が必要な事柄を伝えることに先生は苦心されていた。だが、この病院では驚くことに、常時それぞれの国の通訳サービスが存在した。これも移民の国のアメリカならではである。世界公用語の英語にすら日本人は言葉のバリアを感じているのであるから、超高齢社会を迎え、移民について真剣な議論の交わされる必要性がさらに増えている日本において、このチャンドラークリニックのようなサービスの重要性は、看過されるべきではないと感じた。
反面、民間保険が蔓延ったために、やむなく民間保険の加入を義務づける形で始まったオバマケアもトランプにあえなく撤廃されようとしているように、揺れるアメリカの保険医療に比べ、日本の国民皆保険がいかに素晴らしい制度かも感じた。

この2~3週目は比較的時間にゆとりがあったため、ラトガーズ大学で知り合った学生たちとニューヨークに行ったり、フィラデルフィアに行ったりと、余暇も十分楽しむことができた。特に個人的にはMLBを現地で熱狂的なファンと一緒に観戦したことは忘れられない思い出である。ラトガーズ大学の薬学部の学生の中に、在ニューヨーク日本人のサイエンスコミュニティに属している人がいたことから、ボランティアとして、腹部エコーなどを子どもたちに教えにニューヨークに行ったりもした。人との出会いの重要さを再認識させていただいた。

四週目はFamily Medicine専用のビルディングの中で実習し、実際に学生と一緒に問診、身体所見などをとらせていただいた。ここでも皮膚生検を外来で行ったりするFamily Medicineの守備範囲の広さ、アメリカの医学生の問診能力の高さにはやはり驚くばかりであった。今まで何人に問診、身体所見をとったのか、とあるラトガーズ大学医学部3年の女子学生に尋ねると、こともなげにHundreds of.と答えてくれた。どうやら、日本の5年生に当たる学年から、ひとりで問診、身体所見を一日に何人もとることを繰り返すシステムらしい。学生時代からこのような自信を身に着けられれば、患者さんも安心して自らの命を託すことができよう。このシステムをうらやましく思うと同時に、自らの積極性を今一度見直す非常に良い機会になった。

締めくくりの少し前に書かせていただきたいことがある。というのも、今回の実習のスタートの前の話なのだが、行きの飛行機で急病人が出た。よくドラマであるような「お客様の中にお医者さまはいらっしゃいませんか」という状況である。将来医師になる上で自分がどうするべきか非常に悩んだ。結果、最初は名乗り出ることができなかった。1~2人名乗りでた医師の方がいらっしゃったようで、その後でようやく自分は名乗り出ることが出来たが、そうなればもうやっていることは野次馬とそうは変わらない。自分の知識、自信の無さのために二の足を踏んだことに忸怩たる思いだった。
 だが、このアメリカ留学という非常に貴重な経験をさせていただき、どのような医師になりたいかという自分自身の心がけ、姿勢、積極性がやはりこの先非常に重要ということを再認識させていただいた。次に同じような機会が訪れたときは迷わず医師として一番にその現場に駆け付けたい。

最後にはなったが、ホームステイするにあたり、ご尽力くださった小谷主任教授、野口学長、鳥井さん、そしてお忙しい中ステイさせてくださったLin先生夫妻、甥のZackくん、Nithya先生とご主人のPunit先生、チャンドラークリニックでお世話になったYu先生、ニューブランズウィックを案内してくれて、ジャズセッションにまで連れて行ってくれたTublinさん、初めて知り合った日から気さくに話しかけてくれてニューヨークもフィラデルフィアも連れて行ってくれた学生のKirk、Alexやその友人,そのほかレジデントの先生、また、ニューヨークでお会いした日本人のドクターの方々、わざわざその後日本にまで来てくれたErika、泉さん、書ききれないほど多くの方々にお世話になった。この場ではあるが厚く御礼を申し上げたい。