研究概要

量子化学計算を用いた酵素反応機構の解明

 量子化学計算は、汎用ソフトGaussianの開発以来化学物質の構造、エネルギーおよび各種の物性値を求めるために用いられてきました。量子化学計算には高い精度でこれらの値を与える反面、多くの計算コストを必要とするという欠点があり、大きな分子を扱うことは長い間困難でした。

 しかし近年、精度が高い量子化学計算を短時間で計算を行うことができる分子力学計算と組み合わせるマルチスケールモデルを用いた方法が開発され、PCの計算処理速度の飛躍的な向上も相まって酵素反応のように生体高分子の内部で起こる化学反応を計算することができるようになってきました。
 現在私たちは、以下の反応機構を明らかにすることを目標として量子化学計算を行っています。

 

1. 超原子価ヨウ素試薬を用いる新反応の機構解明

 高い反応性を有する超原子価ヨウ素試薬TMS-EBXを用いることにより、様々なペプチド誘導体を含むジアミドの環化反応により、4-イミダゾリジノン誘導体を効率よく合成できる。合成した4-イミダゾリジノンは、加水分解や薗頭反応、脱保護反応などにより、様々なペプチドアナログに誘導可能です。本反応では、2つの求核部位を持つジアミド1とEBX2から、分子間および分子内付加反応を経る一連の反応により、最終的に4-イミダゾリジノン3が得られていると推察されました。対照実験や密度汎関数法 (DFT) を用いた理論計算の結果、本反応は分子間および分子内マイケル付加型の反応で進行しており、5から8の分子内環化反応は、アニオン6を経由する5-exo-trig 環化機構で進行している可能性が高いことを明らかにしました。



2. リボソームにおけるペプチド結合形成のメカニズムの解明

 リボソームのX線結晶構造解析は2000頃に Yonath, Steitz, Ramakrishnan (2009年ノーベル化学賞受賞)らによって行われ、ペプチド結合形成反応の活性中心である Peptidyl Transferase Center (PTC) を構成する各原子の空間的な配置もすでに明らかにされています。
 私たちは、X線で明らかにされたPTCの構造に基づいて、リボソームの活性中心におけるペプチド結合形成のメカニズムをマルチスケールモデル法の一つである ONIOM法を用いて計算し、二段階機構の反応中間体や遷移状態における反応基質の最適化構造を明らかにしました。現在はさらに計算結果の信頼性を高めるべく、計算条件の検討を行っています。

 

3. D-アミノ酸酸化酵素の反応機構の解明

 D-アミノ酸酸化酵素は生体内にわずかしかないD-アミノ酸を選択的に酸化分解する酵素であるが、近年生体内におけるD-アミノ酸の生理的な役割が明らかにされるとともに、その重要性が再認識されてきています。
 この酵素の反応では、酸化の際にD-アミノ酸の位の水素がヒドリドとしてフラビン補酵素に引き抜かれますが、そこで生じるイミノ酸と還元型フラビンアニオンとの間で安定な電荷移動(CT)錯体が生成するため、基質を加えると酵素が紫色に着色することが知られています。
 現在、反応機構解明の手始めとして、ONIOM法によってこの電荷移動錯体の最適化構造を求め、電荷移動錯体における電子構造や電荷移動相互作用の詳細について検討を行っています。